HELLMEN

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第二話 コインと少女

暗闇の中、また賑やかな不思議な店のざわめき、音楽、話声が聞こえてくる。
意識すれば同じ夢って見られるものなんだなあ。ゆっくり目を開ければ、あの古さびたドア。ガラス窓の向こう、ランプの明かりを見ながら、ドアノブに手をかけた。
何となくまた会いたいと期待したお陰だろうか、見回した店内で、また同じ場所、同じテーブルに少女の姿を見つける。そして、
「今日のパリは晴れてたかしら」
同じセリフを言う。けれど少女の服装は前回とは少し違っていた。ワインレッドのスカーフと、帽子からは黒いレース。その下から僕を見上げる。
「ああ、うん、今日も晴れてたよ」
空いてる椅子に座りながら答える。これは何かの挨拶なんだろうか、やっばりこの世界の住人は不思議だなあ。僕の返事を聞いた彼女は、
「ふふ、今日も、ね」
少し、嬉しそうに笑った。
そして周りを見渡せば、隣のテーブルにはあの御婦人の姿が。
「そうそう、買って来たよ絵葉書」
「あら」
そう言ってナイフとフォークを皿に置く。隣には卵がお洒落なエッグスタンドに乗っていた。
僕は立ち上がって隣のテーブルの御婦人の肩をたたいた。婦人は、
「あら、どちら様?」
と、相変わらず焦点の合ってない目で僕を見る。やっぱり何だか怖い。
「あの、もしよければ――」
そこまで言って少し考える。現実でポケットに入れたからといって、夢の中でもそこにあるとは限らないんじゃないだろうか。
恐る恐る手をポケットに入れる。その中には何も手ごたえが無かった。
「あ、あれ、無い? やっぱりこっちは夢だから――」
僕のその手首を、突然少女がぐっと掴んだ。
「確かに買ったのね?」
じっと僕を見つめて言う。
「あ、うん」
「じゃあ、手を抜いて、そしてもう一度。そのポケットにあると思いなさい。形をよく思い出して」
「え、でも今探したら無かったし……」
「じゃあ今、私が“入れた”わ。そのポケットにね。それを掴むの。いいわね?」
「?」
彼女は僕の手首を掴んだまま、ポケットへと導いていく。半分くらい手が入ったところで、その指先に紙の触感を覚えた。
「あ、あった?」
その中で紙切れをつかむ。
「ね。ほら、取り出して」
ポケットから出てきたのは確かに今日買った絵葉書。佇むエッフェル塔の絵がちゃんと描いてある。さっきはたまたま見つからなかったのだろうか。
「ふうん、どうやら間違いないようね――」
それをしげしげと眺めた彼女は、手を離し、静かに椅子に座る。
受け取った御婦人は笑顔で僕に礼を言った。これで姪に贈り物が出来ますわ、と。

   * * *

「さっきのは何だったの? 君がポケットに入れた、とか何とか」
僕もテーブルに戻って、彼女に話しかけた。
「……明晰夢って、知っているかしら」
「めいせきむ?」
「これは夢だと自覚して見ている夢のことよ。身体は睡眠状態にもかかわらず脳だけ起きている状態らしいわ。そこでは、意識すればどんなことも出来てしまうとか」
「へえ~凄いねえ」
テーブルのポットからグラスに水を注ぎながら相槌を打つ。一方の彼女は、呆れた顔をして僕を見た。
「貴方、幾分おめでたい頭をしているようね。普通の夢では、ここまではっきりと会話したり出来ないでしょうに。ましてやその内容が日を跨いで繋がってるなんて」
「うん?」
一口水を飲んで、やっと気付く。
「……あ! じゃあこれがその明晰夢ってものなの?」
「さっきからそう言ってるつもりだったのだけど」
「ごめん。で、その何でも出来るってどういうこと?」
とても魅力的な話に興味が沸く。
「そうね、そもそも視覚や触覚、聴覚なんてものは大脳がそう一方的に認識してるに過ぎなくて――」
「?」
難しそうな話に首をかしげる。
「――なんていう説明をするつもりだったのだけれど、貴方のその情けない顔を見るに、やってみせた方が良さそうね」
彼女はエッグスタンドをテーブルの中心、僕と彼女を挟んだちょうど中間に置いた。ニヤリと僕を見ながら、おもむろにそれを一週回してみせる。上に乗った卵はまだ食べる前の殻つきだ。一体何をするつもりなんだろう。
「想像(imaginer)し、創造(cre´er)するコツは“見えない”こと。貴方、奇術を見たことあるかしら」
「ある、けど?」
「帽子の中や布の裏側が見えないからこそ、人はそこから鳩やトランプを取り出したと思いこむ。いい? 見えない所には何があっても不思議じゃない」
そう言って、彼女はてっぺんの殻を割り、スプーンで中身をすくい取る。そこには、
「うそ!?」
黄身に混じって、1フランコインが――中にあった。
「そんな……あり得ない」
「あら、先に中を見てもいなかったのに、なぜあり得ないと言い切れるのかしら」
「だって……」
卵には殻を割った跡は確かに無かった、はず。
「親鳥が何かの拍子に餌と一緒に呑み込んでしまった、とでも言えば納得できるかしら?」
「それは……」
万が一に無くは無い、のかも知れない。僕の声が弱くなるのとは逆に、コインはより輝いたように見えた。
「卵の中にコインがあるかないか、それは実際に開けて“観測”するまで分かりっこないのよ。シュレディンガーの猫ってやつね」
「なにそれ」
「量子力学の話。それはまあいいわ」
彼女は手袋を脱ぎ、コインを手に取った。
「これがさっき言った、“何でも出来る明晰夢”の証明」
それを指先でいじりながら言う。
「確かに普通ではこんなことありえないでしょう。それを可能にするのはイメージする力。卵の中にコインがあると強く想像し、そして創り出す。コインを中に入れた犯人は私というわけ。ちなみにここのテーブルと椅子も私がイメージして創り出したものよ」
「えっ」
まじまじと見つめる。周りのテーブルと違いは分からない。
「この満員の店内、座る場所が欲しかったからね」
すごい、だからこのテーブルだけ座っているのは彼女一人だったのか。
「じゃあ、じゃあ……」
とっさに思いついたのは、
「僕も、空を飛ぶとか、出来るかな!?」
「貴方、なかなかにロマンチストね。即物的でないというか」
そんなに意外かなあ。大金持ちとかの方がよかったかな。
「あの絵葉書……あれは実は紙だけを私がイメージして創り出したの。絵葉書なんて紙自体はどれも大差ないものね。その上にエッフェル塔の絵を再現したのは、他でもない貴方自身の力なのよ」
「えっ?」
「どうやらポケットに入れて眠りについたようだし、そこから実際に絵葉書の“ようなもの”が見つかる。貴方は疑うこともなく実際の絵葉書をイメージし、そして形にして取り出した。初めてにしては上出来ね」
知らず知らず、僕はそんなことを出来ていたのか。
「さっきも言ったように、問題はイメージする力、強く信じること。飛べて当たり前と思えば、この世界で自由自在に飛べるでしょう。けれど少しでも疑って、『こんなことありえない』と思ってしまったら、貴方はまっ逆さまに落ちてしまうわ」
「難しそう……」
「まあ訓練次第ね。それにこれは、ちょっとしたテストだったの」
「テスト?」
「イメージを形にする、そのとき、貴方と私、そのイメージが矛盾したらどうなるのかって。ありえない、なんて貴方が言うのは分かってたから。でも私の言い分で、その可能性がゼロではないと心が揺らいだでしょう?」
「う、うん、まあ」
「一方の私は百パーセント信じていた。自分で“入れた”のだから当然ね。どうやらこの世界は、よりイメージの強い方が勝つようね。まあ最も強いイメージにはどうやっても抗えないのかもしれないけど」
「最も強いイメージ?」
「そう。……一つ確認しておきたいのだけど、貴方、こういう店にはよく来るのかしら?」
「まさか。入ったこともないよ。中がこんな風になってるなんて知りもしなかったし」
「でしょうね。経験無しに想像だけでこんな精細かつ堅牢な空間を生み出せるほどあなたの脳が豊かだとは思えないし」
僕、もしかして小馬鹿にされてるのかな。
「つまり考えられるのは、ここは他の誰かが見ている夢の中じゃないかしらってこと」
「他の……誰か? 誰かって誰!?」
「知らないわよそんなの。それ以外の説明が思いつかないだけ。以前この店そのものをイメージで変えてみようと試しにやってみたのだけれど、それは出来なかった。私より強いイメージがこの世界を支配している。それが貴方の力でないのなら、この夢を見ているのは別の誰か、夢の主(あるじ)のものと考えるのが自然だわ」
彼女は随分冷静に言った。だけど僕は自分が超能力者にでもなった気分で大興奮だった。
「凄い! 僕って凄い! 誰かの夢の中に入れて、それにイメージで何でも出来るなんて! こんなの聞いたことないよ!」
そんな僕を彼女はまた呆れたように見ると、
「そうね――それで?」
「で……って?」
「想像力が足りないわね。そこまで理解しておいて、それが貴方だけとは限らないと、どうして思わないのかしら?」
意地悪く、ニヤリと笑った。