HELLMEN

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第2話 二日目

翌朝。いや、朝と思って時計を見れば、短針は数字の三を指している。つまり午後三時。
「おかしいなあ。旅先じゃ必ず早く目が覚めるんだけどなあ」
やっぱり見知らぬ土地と自分の故郷とでは同じ旅でも違うのだろうか。
着替えて靴を履き、外に出る。

    * * *

さて、改めてやって来た懐かしき故郷。こういう時やってみたくなるのが、かつての通学路を歩いてみる、ということだ。通い慣れた小学校への道。実際ほとんど忘れかけていたけれど、いざその道を足でなぞると、いろいろなことが思い出せてくる。派手めな壁色の家、珍しい名字の表札、公園の滑り台、白線だけ踏んで渡った横断歩道……。私は小学校高学年くらいで少し離れた町に引っ越し、中高は都心部の、そして大学は東京のを選んだ。その間、この町のことを思い出すことなどあっただろうか。都会は流れる時間が早いなんていうけれど、その中で私の記憶は埋もれてしまっていたのだろうか。そして、なぜ今になって、ふとここに足が向いたのだろうか。
学校への道は、驚くほどあの頃のままで……
「……ちょっと、変わらなすぎじゃない?」
そういえばここにあったよねとふと見た自動販売機、そのラインナップがまるであの頃のままであるかのような古さ。今時こんな古い缶コーヒーが売っているとは。それだけでなく、もはや姿を見かけなくなった乳酸系のやつも。
「私これ好きだったんだよね〜」
懐かしい町は、こんなところで小さな喜びを与えてくれる。
「そうそう。この先に……」
右手に見えて来るのは児童公園。何かと問題になったあの回転遊具もまだあるなんて、のんきな田舎らしいといえるのだろうか。その隣りには定番のブランコ。よく二人乗りして遊んだっけか。
「あ……」
そうだ……なんで忘れていたのだろう。あの頃の私は、いっつもあの子と遊んでいて……。
「なっちゃん……」
その子の名だった。

    * * *

ほとんど毎日、私は学校から帰ればカバンを玄関に置きっ放しにし、ここへ遊びに来てたように思う。そう、約束をせずとも、そこにはなっちゃんがいた。おっとりしているような外見とは裏腹に意外にいたずら好きな彼女は、いろいろなことを思い付いては、周囲を巻込んで賑やかにするのだ。私はそんな彼女が大好きで、そして少し羨ましかった。
あの頃の私は、元気すぎて空回りするようなところがあったから、男子に人気があった彼女のようになりたいと思ったものだった。
「なんで、忘れていたんだろう」
いや、忘れてたわけじゃない。ただ、思い出さなかっただけだ。思い出すきっかけがなかったからだ。そして、そのきっかけが。
「ああ、そうか、昨日の……」
あの少女の笑顔が、彼女にどことなく似ていたから。
あんなに仲良かったはずなのに、引っ越してから、連絡を取るようなことは結局なかった。当時まだ携帯電話なんて持ってなかったし、中途半端に近い引越し先は、会おうと思えばいつでも会えるような距離だったからこそ、手紙のやり取りもする気にならなかったのだろう。そして、そのまま私は東京へと進学したのだった。
「今もここに住んでいるのかな」
引越ししたという話は聞いてないし、かといってずっとここにいるとも聞いてない。そして、今会ったとしたら、私はどんなことを話せばいいのだろう。以前は仲良かったとはいえ、そのことをあまり覚えてない私は、なんとなく気まずい気分になるだろうか。
だから、彼女が住んでた家に行って、とりあえず表札を確認してみる、なんて行動を起こす気にはならなかった。

    * * *

それから、懐かしい場所を思い出しては、そこへ歩いて思い出に浸るということをしばらくした後。
遠くから、祭囃子が聞こえてきた。
それは、昨夜と同じ調べ。
「あれ、昨日が最終日でなかったっけ……」
私の聞き間違いだったのだろう、商店街に向かえば、そこにはやはり、お祭りが始まっていた。
集まる人々、親子連れ、おじいさんとおばあさん。まだ時間が早いぶん、今日はいっぱいお祭りを楽しめる。私はうきうきした。
「あれ、お姉さん」
「あ」
たこ焼きを頬張りながらばったり出会ったのは、あの少女。
「また会ったね、お嬢ちゃん」
そう言いながらよく見てみれば、記憶の中のなっちゃんに、確かに似ているような、ちょっと違うような。ま、私の記憶力もかなり怪しいし。
けれど。
「お嬢ちゃん、お名前は?」
軽い気持ちで聞いてみた私は、その答えに絶句した。
「うーんと、なっちゃんって呼んで」
「……!」
少女は、同じ名前を口にするのだった。
「なに?」
「……え、あ、いや……なっちゃん、ね」
これは偶然なのだろうか。まあ、そんなに珍しい呼び名でもないとは思うけど。
「お姉さん、今日も一人?」
「うん、そうだけど」
「じゃ、あたしが一緒にまわってあげる」
そう言って、私の手を引いて進んでいく。
「え? あ、ちょっと」
少女――なっちゃんは、いろいとな屋台を見ながら、あれはおいしい、ここのくじ引きはだめと、嬉しそうに説明してくれた。そして細い道を抜けて、神社へと案内してくれる。そこを通るとき、ああ、こんな道もあったなあと、私は懐かしさに浸る。
その楽しさの中、時間はあっという間に過ぎていって。
――これにて、第三十七回、冷涼盆踊り祭りを終了いたします――
終わりを告げるアナウンスは、聞き間違いかと思ったほど、一言一句、確かに昨日と同じだった。
人々はあっけなくいなくなり、そしておじさんが道に捨てた氷水は、小さなワンちゃんと驚かせ、その飼い主がクレープを手からこぼした。
「こ……れは……」
勘違い、じゃ、ない?
こういうのをデジャブというのだろうけど、それはあまりにも鮮明すぎて。
昨日、私はこの後どうしたのだっけ。確か、別れ際の少女に、カメラを向けて……。
無意識のまま、私はその行為をなぞっていた。レンズを向けた私に気付いた彼女は、あのおどけたポーズをとる。そして私はシャッターを押した。
「えっ……?」
パチリ。心地よいシャッター音に我に返る。
「撮れ、た?」
恐る恐る、フィルムカウンタを見れば、そこにははっきりと、「22」の文字があった。
これは、まさか。
「なっちゃん、今日は何日!?」
混乱した私は、より確実であろう、携帯電話で確認するという手段をも、思いつかなかった。突然聞かれた少女は、驚いたように、けれどはっきりと言った。
「え? 今日は十日だよ。八月十日」
それは、私がこの町に着いた、昨日の日付だった。

    * * *

その後のことは、混乱した私の頭はよく覚えていない。
時間が戻っている。私は今、昨日にいる。なぜ? どうして? そのことで頭がいっぱいになった私は、朦朧とする意識の中、どうにかして宿に戻ったらしい。
ただ、覚えているのは、布団の中で、寝れば何とかなるかと思ったこと。私は明日に行かなければならない。次の日に行く、という行為は、正確には深夜十二時を回ることだけれど、それは時刻上の話。気持ち的に、次の日に行くのならば、寝て、起きて、新しい朝日を浴びる、という行為が必要なのだ。
そのために私は布団に入り、眠りを迎える。

そして、目覚めた私が見たものは、もうすっかり昼を過ぎた、午後三時の緩やかな日差しと、今日が十日であることを示す、旅館の日めくりカレンダーだった。