HELLMEN

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第4話 四日目

相変わらず変わらないカレンダーを眺めながら、遅い朝食を食べる。といっても時間はやはり午後の三時。この起床時間はもう決まっていることなのかもしれない。
「変わるものを探せって言われてもなあ……」
食事を済ませ、カメラ片手に町に繰り出すも、昨日や一昨日の町の様子をこと細かく覚えているわけではないし。このカメラで記録したいところだけれど、写したところで翌朝になればまたフィルムは撮影前の状態に戻るだけだろう。それでも肩にかけているのは、こういう格好をしていれば多少ウロウロしていても不審者に思われたりはしないだろうという気持ちからだ。
とりあえず、通学路をもう一度なぞって歩いてみる。公園、ポスト、横断歩道。そして小学校。特にこれといって気になるような点はなかった。
「しょうがない、他の場所を探すか……ん?」
ため息をつきながら校門の壁に寄り掛かっていた私の耳に、あの規則正しい音が聞こえてきた。

    * * *

ガタンゴトンと、それが近付くのが聞こえる。同じ電車なのに、例えば都心の山手線とは違う、風情のある音。それはこの音が、イコールちょっとした旅行を思い起すせいなのか。田舎では、普段の街への買い出しといえばまず車が普通だからだ。
「電車……、あ」
なぜ思い付かなかったのだろう。そうだ、全てはこの町に来たことからはじまったんだ。そのことが何らかの要因なのは間違いないんだから――
それは、この町からの脱出という選択肢。
何となくだが、それはかなり有効な答だと感じた。

    * * *

部屋へ戻った私は、荷物をもって宿を発ち、そして駅舎へとたどり着く。一歩中に入れば、ひんやりとした碧く暗い待合室があった。そしてその向こうには、眩しいほど明るく輝くアーチがある。ホームへ続くその門を横目に見ながら、私は帰りの料金を確かめ、ボタンを押す。けれど出てきたその切符を取る手はなぜか重い。改札を通った私は足取りまで重くなり、あと数歩、ホームとの境界である小さな階段の前でとうとう立ち止まってしまった。
目の前には、夕陽に照らされたオレンジ色のホームが、アーチの向こうに輝いている。薄暗い駅舎の中へと、そこから光が斜めに差し込む中、私はその中に佇み、それを見つめた。
これは、確かにひとつの答かもしれない。だけどそれは、正解に近いという答。テストなら三角、ゲームならノーマルエンドというやつだ。
私はまだ、何かやり残したことがある……漠然と、そんな気がする。何か大切な、解決しなければならないこと。そのための、この不思議な時間の繰り返しなのだとしたら。神様がくれた、プレゼントなのだとしたら。
――行こう。
私はその光に背を向け、不思議そうに見る駅員さんに切符を渡し、答を探しに再び町へと歩みだす。
ここへ来た最初の日と同じように、駅舎から出た私は空を見上げた。
だけど、心はどこか違う。あてもなくここに来たあの日とは違う、何か分からないけど進むべきもの。
多分それは、未来への予感。

答えはきっと、私の中にあるのかもしれない。

    * * *

駅前通りをまっすぐ進めば、海にぶつかる。そこには元気に遊ぶ子供達の姿があった。
夕暮れ時の薄暗い中、その光景を横目に見ながら海岸通りを歩くうちに、少し思い出す。
あの頃の私は、都会に強いあこがれを抱いていた。それはこの田舎町に退屈さと閉塞感を感じていたからだろう。海の向こうの未だ見ぬ異国を夢見るように。
けれど、東京での生活は、実際目まぐるしくはあるけど、その通りすぎていった時間の後には、何かが得られて残っていただろうか。いや、この町のことさえ思い出すこともなく、知らず失われていたもののほうが多いのかも知れない。
そんな状態のまま毎日を過ごすことに、私は心のどこかで恐怖を覚えていたのだろうか。
ある日思い立った、この旅行は――
そんな日々から、逃げるように――
「ん?」
今しがた視界を通り過ぎた電信柱。そこにあったポスターに、ふと違和感を覚える。
数歩戻ってその内容を確認する。それはあの夏祭りの告知ポスター。だが。
「これは……」
そのポスターに大きく書かれた開催日時は、今から十年前の年。なのに、タイトルはもう何度も聞いた、第三十七回の盆踊り祭り。古いポスターという感じでもないし、書き間違いとも思えない。この告知の通りならば、それはつまり、今がその年だということ。
昔のままの自動販売機――
繋がらない携帯電話――
そして、私を私と判らなかった先生――
「……ここは、十年前の、この町……?」
繰り返しどころではない。まさかタイムスリップまでついてくるとは。
いや、繰り返すことも、タイムスリップしてるのと同じといえば同じなのか。
「ん? てことは」
小さな可能性に、私は思い当たる。
この町が幻想なんかじゃなく、本当の過去の町なのだとしたら。
じゃああの少女は、たまたま同じ名前なんかじゃなく、ひょっとしたら……。
「あの頃の、なっちゃん本人……?」
今日もまた、祭囃子が響いてきた。

    * * *

「こんばんわ、お姉さんっ!」
祭りで賑わう人ごみの中、約束したように彼女と出会う。その姿を改めてまじまじと見つめる。
「なっちゃんの……」
「ん?」
「なっちゃんの、名前って……」
そこまで言いかけて、私は言葉を飲み込んだ。
「?」
たとえそうだったとしても、一体何をどうすればいいのだろう。過去に影響を与えて未来が変わってしまう、そんな映画を思い出しもした。
私は彼女に何も言うことは出来ないと思った。私はきっと、ここにいるべき存在ではないのだから。
不思議な顔をして私を眺めていたなっちゃんは、またすぐ盆踊りに見入る。
私もその視線を追う。夢中で踊る子供たち。あの子たちも、私にとっては過去の存在。なっちゃん同様、当時の私と同じような年齢だ。あの子たちは、未来をどう夢見ているのだろうか。あの頃の私のように、この狭い町から飛び出したい、なんて思ってるんだろうか。それとも、ここがその子の世界全てなのだろうか。
私自身、いまいち夏祭りの記憶がない。来たことはあるはずだが、あまり楽しめなかったのだろうか。無邪気にはしゃぐ隣りのなっちゃんを見て、うらやましいとさえ思う。
そんなことを考えながらぼんやりしていたら、けっこう時間が経っていたようで、聞きなれたあのアナウンスが流れた。やはりこれが三十七回目の夏祭りなのは間違いないらしい。人々が見慣れた足取りで家路につく。
「今日は写真、撮らなかったね」
それを見ていたなっちゃんがふいに言った。
「あ、うん、今日はちょっとそんな気分じゃなくて」
「そっか。そういえばお姉さん、なんか上の空だったし」
「あはは、ごめんごめん」
――じゃなくて……待って、今、何て言ったの。
「今日……は?」
何かおかしい? そんな顔をして見上げる目の前の少女。
私はやっと気づく。そうだ、どうして今まで疑問に思わなかったのだろう。
「今日はって、そう言ったの?」
そうなら、この子は。
「だって、昨日もお姉さんあたしを撮ってくれたじゃない。一昨日もその前の日も」
知っている。覚えている。この子はこの繰り返す毎日を。このことに気付いているのは私だけではなかったの?
――変わらないのであれば、逆に変わっているところに原因がある――
そんなことを言った先生の言葉を思い出す。記憶していくということは、その人が変化していくということ。ならば、そうならば……
「でもまあ、明日撮ってもらえばいっか。あさっても、その後も、ずぅーっと」
まさか……この子が。
「なっちゃんなの?」
少女は無言で私を見つめてくる。
「なっちゃんが、犯人だったの?」
その口が、クスリと歪んだ。

    * * *

「いいじゃない。終わらない夏祭り。毎日毎日、わた飴食べて、金魚すくって、射的して。楽しく遊ぼうよ」
ほほ笑む彼女の甘い言葉。その誘惑に感じるのは、あの安堵感。寝る前に覚える、あの感覚。
私は何にほっとしたのだろう。
終わらない、夏祭り。
でもそうじゃない。これは、お祭りの形をした、何か別のこと。
きっとこの中にある幸せは、本当の幸せじゃない。
「お願い! この時間の繰り返しをやめて!」
彼女の肩を掴んで私は声を荒げる。
「どうして? お祭りが終わらなければいいって言ったのはお姉さんじゃない」
「それ、は……」
確かに言ったかも知れない。きっと無意識に。けど、それはお祭りのことであって、時間の流れのこととは――
「無関係、って言うつもりなの?」
とっさに私は彼女から手を放した。恐怖を覚え、後退る。
「これは、お姉さんが望んだことなんだよ」
「なっちゃん……?」
少女の目は、小学生の見た目とは不釣り合いに、妖しく光る。
「お姉さんの望みがせっかく形になったのに、どうして拒むの?」
「違う、私はそんなこと望んでなんかいない! なんでこんなことするの、なっちゃん!」
「望んでないなんて、本当に言い切れるの?」
「何を……」
「この日々の中で、少しもほっとしていなかったなんて、言えるの?」
「それは……」
私の心を見透かすその瞳から逃れるように、視線を背ける。
「このままの時間が続けばいいって、少しも思ってないって言えるの?」
「違う……」
「明日にならなければいいって、少しも思ってないって言えるの?」
「やめて!」
私は耐えられずにしゃがみ込み、耳を押さえた。
でもきっと、それは何も違わない。
彼女の言う通り、これは私の望みだったのだ。
そうだ。
私は。
逃げてきたのだ。
都会の生活からではなく、自分自身から。
「もう……やめて」
目の前が、くらくらと歪んでいく。
「どうしてこんなことするの……なっちゃん」
その視界の中で見た少女は、きょとんとして、私を見返した。
「何言ってるの?」
「……え?」
何がおかしいのか、彼女は笑って言った。
「時間を止めてるのは、お姉さんのほうじゃない」
その言葉と共に、私の意識は遠のいていく。

私は、前へ進むことを恐れた――
変わることを、拒んだ――
それが、その心が、この止まった世界を――